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Monday 21 March 2011

家族・親戚

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

東北関東大震災から一週間が過ぎました。毎日流れ続けるニュースの中で、被災地での現状の深刻さが伝わってきます。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、いままだ被災者の方々、復旧の為に現地で作業されている方々、また、自分たちの命を顧みず私たちの為に死ぬ覚悟で作業に当たられている方に敬意の念を表すとともに、一日でも早く、落ち着いた日々が取り戻せることを祈っています。

私の実家、茨城県那珂市でも、今回の地震で被害に遭い、電気・水道が通じない不便な日々が続きました。父方の親戚は福島県いわき市におり、地震・津波に加え、原発の事故も影響も。今は茨城の実家と埼玉の親戚の家に分散して避難して来ています。 今日、従姉妹と一緒に埼玉県の親戚の家にお見舞いに行ったのですが、いわき市の小名浜に住んでいた親戚の『避難』の話を聞くと、かなり恐ろしい体験をしたようです。
地震のあとの津波警報で逃げ惑ったり、落ち着いて家に帰る途中で家の近くで道路に魚を発見、なぜこんなところに?と思ったら、そこまで津波が来ていた、と。従姉妹の家では食器棚・本棚が倒れ、もしあの日に叔母と一緒に病院に行っていなければ従姉妹の子供たちは危なかったかもしれない、とか。
原発事故で屋内退避地域に入ったいわき市。とりあえず必要なものだけをもって、避難して来たけど、従兄弟は消防団の手伝いでまた戻ったと聞きました。 私の実家には100歳になる祖父と父の兄夫婦が来ています。祖父は身体も弱くなったせいか一年以上外出していなかったとか。既にいわきの自分の家が恋しくなっているようです。
実家の隣町に住む母方の祖母は一人暮らし。89歳になる元気な人ですが、電気も水道も止められ不便な生活をしているようです。
4月に札幌へ引っ越し予定だった 、宇都宮に住む姉夫婦。今回の地震・原発事故で引っ越し準備が段取りどおりに進まず、急遽あす、引っ越しすることが決まったと連絡がありました。日程が変動するだろうと予測はしていたものの、あまりの急さにびっくり。それは姉たちもそうで、でも、移動する手段が少ない中フェリーの予約が取れたことと、やはり三歳児と8ヶ月の乳児への放射線への恐れ・不安。原発は落ち着きを見せてはいるものの、まだ先が見えずいつ何が起こるか予測ができず、それならば安全な札幌へ早いうちに、という決断でした。

家族・親戚がめまぐるしい生活の変化に右往左往しているときに、私はただただ、心配するのみ。なにもできずに無力です。

何もできず、無力です。全てが、良い方向へ向かい、お互いに励まし合い、のちに「大変だったね」と思い出話になる日が早く訪れるように、祈るばかりです。